研 究 内 容 紹 介

 分子と細胞のレベルで脳形成と発達(棘形成を含む)のしくみの解明を主なテーマとして研究を行っています。関連する現象として、細胞移動の仕組みについても研究を進めています。


大脳皮質をはじめとする脳形成のしくみの解明

 大脳(新)皮質の構成細胞は、グルタミン酸を神経伝達物質とする興奮性神経細胞が約8割を占め、残りはGABAを神経伝達物質とし、形態・機能的に多様な神経細胞で構成されます。これら神経細胞は、大脳皮質の外で生まれ、皮質内へと移入し、大脳皮質を構築します。特に、興奮性神経細胞は、大脳皮質深部にある側脳室の周囲にて生まれ、法線方向へ移動し大脳皮質を形成します。この脳室周囲からの移動開始の調節機構は不明でしたが、我々は脳室周囲に発現する新規分子FILIPを同定・クローニングし、FILIPがアクチン結合分子であるフィラミンの分解を促進することで細胞の移動性を低下させること、すなわち脳室周囲の細胞の移動開始は負の制御系にてコントロールされることを世界に先駆け明らかとしました(Nagano et al., Nature Cell Biology, 2002. この内容は Nature Reviews誌のハイライト欄にて紹介されました。Nature Reviews: Molecular Cell Biology, 3:472-473, 2002)。さらに、神経細胞は移動途中で大きく形態を変え、その際場合により移動方向を変えることが報告されていますが、この過程にフィラミンの発現量が大きく関わることを見いだしました(Nagano et al., J. Neurosci., 2004. この報告は同誌のハイライト論文に選出されました)。現在、FILIPのノックアウトマウスの解析を進めていますが、FILIPのノックアウトにより、大脳皮質内での細胞配置に異常があること、棘(スパイン)とよばれ、神経伝達の場所であるシナプスにて働く構造物の形態が変化すること、フィラミン以外にも結合分子があり、その結合分子の働きを変化させていることなどを明らかとしました(現在投稿中)。また、移動途中で大きく細胞形態を変えると記しましたが、その過程が最終的な大脳皮質内での細胞配置に重要であること、細胞形態を変える過程に成長円錐におけるAbi2-WAVE2のリン酸化による制御が重要であることを見出しています(投稿中)。
 幾つかの大学と共同した研究も実施しています。札幌医科大を主とする共同研究として、大脳皮質脳室帯における細胞分化・脳室帯からの細胞移動にヒストンデアセチレースであるSIRT1が重要であることを示しました(Hisahara et al., Proc. Natl. Acad. Sci., USA, 2008)。私たちは、この研究では特に細胞分化と大脳皮質での細胞移動についての実験・解析を担当しましたが、この研究は掲載号の表紙に選出され、さらにCell誌においても注目すべき研究として紹介されました(2008年10月31号leading edge欄)。さらに、大阪市立大学を主とする共同研究において、カルパインが滑脳症の治療の鍵であることを示唆する成果を発表しています(Yamada et al., Nature Medicine, 2009)。



脳発達のしくみの解明(その1、スパイン形成)

脳の発達について、幾つかのアプローチによりその解明を図っています。
(1)棘(スパイン)形成:
 神経細胞が次の神経細胞に情報を伝達する場であるシナプスは、脳の情報伝達機構の基盤とされ、この部位での情報伝達効率の変化が、学習・記憶などの高次脳機能の細胞の実態と考えられています。シナプスは、一般に情報を伝える側(軸索末端)と情報を受け取る側(後シナプス構造)に分けられますが、特にスパイン(棘)に代表される後シナプス構造は、一般的に樹状突起フィロポディアがその形態を変化させ形成されることが知られています。学習への関与の証拠として、実際に、神経細胞に一定の刺激を与えると、その細胞から次の神経細胞に情報が伝わるシナプス、特にスパインにおいて、動的にその形態・構造が大きく変化することが報告されています。この変化を長期増強(long-term potentiation; LTP)とよびますが、LTPの際には、さらに、スパインにおいて情報伝達に関わるグルタミン酸受容体の動態(数とスパイン膜表面に存在する分子数)が変化することが報告されています。
 スパインのなかでも、シナプス後部の膜直下はシナプス後肥厚部(PSD)と呼ばれ、多種類のタンパク質が存在し、状況に応じて異なる複合体を形成し、情報伝達効率の調整に関わるとされています。中でも足場蛋白質PSD-95, カルシウム/カルモジュリン依存性リン酸化酵素II (CaMKII)は、グルタミン酸受容体AMPA-Rや NMDA-Rとともに、LTPの中心的分子であることが報告されています。近年、シナプス後部の膜上での AMPA-Rの局在量が増加することが、スパインの形態のダイナミックな変化とともにLTPを担う直接の仕組みであると考えられています。しかしながら、スパインのダイナミックな形態変化、AMPA-Rの局在量変化の分子的な仕組み、さらには両者の相互関係はその有無も含め十分には解明されていませんでした。最近、リン脂質の一種であるPIP3 が、スパインでのAMPA-R および PSD-95 の樹状突起シャフトからスパイン内部への局在変化に対し重要な役割を果たしていると報告されましたが (Sasaki J et al., Nat. Neurosci. 2010)、このことは、何らかの分子を介して、PIP3がAMPA-RとPSD-95の時空間的調節を行っていることを示唆しています。
 我々は、リン脂質の一種であるPIP3と特異的に結合する分子の解析を進める過程で、この分子がAMPA-Rに結合し、そのスパイン内の局在を変化させることを見出しました。先ほど報告された分子の実体であると想定しています。さらに、この分子が、スパインの成熟に関わることも見い出しました。現在、その分子のノックアウトマウスを作製したので、そのマウスの解析も進めています(論文投稿準備中)。


脳発達のしくみの解明(その2、神経回路の形成・成熟など)

 スパインの形成の研究とあわせ、神経回路がどのように出来上がるかなどについても研究を進めています。その概要を以下に記します。
(1)神経回路の形成の仕組みについて、興味をもち検討を進めています。ターゲットとしましては、大脳皮質内の領野を結ぶ神経回路、さらには大脳皮質から皮質外(皮質下といいます)に投射する神経回路が標的組織にいかに、回路を形成するか を検討しています。
(2)神経発生の場である神経上皮にほぼ限局して発現する新規分子Vlgr1d(以前はNeurepin1と呼んでいました。)およびVlgr1e(同Neurepin2)を同定し、遺伝子欠損マウスと、EYFP knock-inマウスを作製しました(Vlgrは、最近では、GPR98とも呼ばれています)。我々の作製した遺伝子欠損マウスは音響刺激により高い頻度でけいれん(聴原性てんかん)を起こし、さらに音響刺激への反応性は脳の発達段階で大きく変化しました(J.Neurochem, 2005)。これは、視覚・聴覚などの外界からの刺激により引き起こされるいわゆる反応性てんかんの一典型例であり、テレビを見ていた子供が起こし大きな社会問題となった「ピカチュウてんかん」と同様のてんかん発作と考えられます。反応性てんかんの発症には脳の発達が密接に関連していることが知られていますが、我々の場合でも、遺伝子欠損マウスは音響刺激に生後しばらくは反応せず、敏感に反応する時期を経て、成長するにつれ反応しなくなりました。一方、その後、このVlgr1は内耳繊毛(cilia)の形成に重要であることも見出し、報告しました(Yagi et al., Genes Cells, 2007)。聴原性てんかんの原因は、逆説的ですが、どうも外の音が聞こえにくいことにあったようです。さらに、その内耳における詳細な分子的な意味については、フランスのパスツール研究所との共同研究により解明し、報告しました(Michalski, N. et al., J. Neurosci. 2007)。最近になり、驚くべきことに、このVlgr1(GPR98)の遺伝子変異が、骨粗鬆症の要因となることが、東京大学を主とする共同研究により明らかとなりました(投稿中)。
(3)発達に伴い大脳皮質に、ほぼ限局して強く発現する分子Pancortinを同定・クローニングしています(Nagano et al., Mol . Brain Res.,1998: Ando et al., Neuroscience, 2005)。大脳皮質の機能発現、機能発達への関与を明らかとするべく機能解析を、主に新たに作成したノックアウトマウスにて進めています。

方向性をもった細胞移動を可能とする仕組みの解明

 我々は、細胞移動現象に基づく、大脳皮質の形成の解明を進めていますが、その過程で、より一般的な原理を明らかにすることができました。特異な系での研究が普遍的にも展開できた一例と考えています。
 方向性をもった細胞移動(directed migration)は、発生・がん転移や炎症反応など生体現象のさまざまな局面で重要です。それ故、その分子機構の解明とその成果に基づく細胞移動制御は生体現象の理解および病態解明や疾患の新たな治療法の開発に重要とされ、世界で広く精力的に研究が進められています。
 方向性をもって移動する細胞の移動先端には葉状仮足(ラメリポディア)が存在し、細胞の移動に必須のmachineryとして働くことはよく知られています。その内部は、互いにクロスリンクもしくは分岐したアクチン線維で裏打ちされており、集団としてのアクチン線維網がダイナミックに制御され、内部から葉状仮足の構造を支え、押し出し、力となってその伸展を実現しています。なかでもフィラミンAはアクチン線維をクロスリンクさせる働きを持ち、アクチン線維網を構成し制御する重要な分子と考えられています。また、アクチン線維は重合と脱重合を繰り返していますが、特に細胞膜直下で重合が進む(アクチン線維が伸びる)ことが知られています。
 我々は、神経細胞の移動を研究する過程で、フィラミンAに結合し、その細胞内局在を支配する分子LL5βを同定しました。LL5βは、細胞膜上のリン脂質フォスファチジルイノシトール3リン酸(PI(3,4,5)P3)に高い特異性をもって結合する領域(PH domain)を有する分子です。それ故、LL5βはフィラミンAをPI(3,4,5)P3が豊富な細胞内部位にリクルートします。一方、方向性をもった移動細胞では、一般にその移動先端にPI(3,4,5)P3が集積し、細胞内に極性をもたらし、極性をもった細胞内情報伝達のハブとして働いています。以上より、我々はLL5βの機能に対して次の仮説を立てました。
「方向性をもった移動細胞では、移動先端にPI(3,4,5)P3が集積し、LL5βはフィラミンA を移動先端の膜直下に局在させ、それ故フィラミンAは細胞膜直下で重合されたばかりのアクチン線維をクロスリンクさせる。アクチン線維のクロスリンクは、葉状仮足の内部の裏打ち構造であるので、最終的に移動先端方向に、しっかりした葉状仮足が生じ、方向性をもった移動に有用である。」
 我々は、この仮説を証明しましたが、同時に、LL5βを含む分子クラスターには、PI(3,4,5)P3の脱リン酸化酵素の一つである、SHIP2が含まれていることも見出しました。そのため、移動先端では、PI(3,4,5)P3がより限局して存在でき、より方向性が明確に細胞に伝達されることが分かりました。これは、一般的な方向性をもった細胞移動の制御に関わる新たな仕組みであると考えています(Takabayashi et al., J. Biol. Chem. ,2010)。